志野、織部、黄瀬戸…日本独自の茶陶文化が花開いた桃山時代、その中心は美濃の古窯であった。陶芸教室の講師だった
Kさまが土岐の窯元に嫁ぎ、そのご厚意で本場の志野を薪窯焼成させていただく絶好の機会があった。庵主は欲張って3点を申し込み、そのひとつがこの茶碗だ。


春の陶友展後にあわただしくロクロを廻し、素焼までは教室で、その後一括発送。施釉、焼成は、先様に全面的に身を委ねる案配だ。規格のサイズがあったので教室の陶友ほとんどが茶碗であった。炎の洗礼を受け完成品が教室に還って来たが、庵主は不精してメモも写真記録もなく、はてさて、どんな茶碗だったか記憶が曖昧。(爆)
さすがに本物の志野ゆえにどなたの作品も見違えるようで、故意に取り違いしたくなるような目移りと出来映えのもの、
多々あり。(笑)
用土は本場の志野土。なぜか生掛けの白化粧を施し(意味な〜い!)、弁柄と黒呉須で気まぐれ線描。所々に緋色が現れ、一丁前に紅志野茶碗となったのは白化粧だからなんてことではなく、薪窯だからでしょう。きっと。(爆)