台風がどうやら通過したようで、白州正子の著書で知って興味を覚えていた青山二郎をクローズアップした世田谷美術館の企画展
『青山二郎の眼』を、ちと、出発の時間が遅れたが、いそいそと観覧に参じた。
青山二郎(1901〜1979)とは何者か?
15歳ですでに京橋の古美術店で高価な中国陶磁の骨董を一目買いしている。
20歳、中川一政から絵の手ほどきを受ける。
25歳で柳宗悦らと日本民芸美術館設立の要員に。
26歳から我が国最大の中国陶磁蒐集家であった横河コレクションの図録編集を依頼され、5年を費やし『甌香譜=おうこうふ』を刊行。そのコレクションは後に東京国立博物館の古陶磁の主要所蔵品となっている。
親交は小林秀雄、中原中也、魯山人、濱田庄司、梅原龍三郎、宇野千代、白州正子など、その学芸サロン的集いは“青山学院”と呼ばれたそうな。
結婚は、死別、離婚含めて、4回。
職業は古陶磁鑑賞家?生業と呼べたのは余技の装幀家?はたまた“高等遊民”?
青山が中国陶磁で好きなのは宋の磁州窯だったようだ。
左は『甌香譜』に収録された「白釉鉄絵牡丹文瓶」(現・東京国立博物館蔵)
右は「白釉黒花梅瓶」銘『自動電話函』(青山の箱書き)この瓶を所有できるなら、たとえ電話ボックス暮らしでも構わぬほどの逸品だそうな。
共に良く似た作で美しいが、並べて較べるとさすがに東京国立博物館蔵の方に軍配を挙げたい。(庵主)
青山曰く
「優れた画家が、美を描いたことはない。
優れた詩人が、美を歌ったことはない。
それは描くものではなく、歌ひ得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。創作である。」
さて、青山二郎とは何者か?謎が解けぬ間に、館内に閉館のアナウンスだ。今後は購入した図録にてゆっくりと解読しよう。
外に出るとまぶしい一瞬の夕焼けに、雨後の竹の子ならぬキノコを発見!